シドニー・ハワイ・・・グローバルなネイルサロン経営への軌跡

オーストラリアのネイルサロンを起動に乗せて次なるステップ?

人種差別が日常茶飯事だった当時のシドニーの地で、不動産屋さんを通さず一人でビルオーナーを探して直談判!イヤイヤながら貸して貰った物件からネイルサロンをオープンまでたどり着きました。 初めは日本人の駐在員妻達から、その後地元のオーストラリア人のお客様でいっぱいになり、忙しいながらも順調な毎日を送っておりました。
そんなシドニーでの多忙な日々の中で、私達夫婦の楽しみは旅行でした。中でも一番のお気に入りは学生の頃から魅了されていたハワイでした。

 

海外ネイルサロン経営!アメリカビザ取得までの困難を乗り越えて

シドニー店の次は同じオーストラリアでゴールドコーストかケアンズかしら?と言われておりましたが、新しいサロンをオープンするなら他国でも同じ苦労だろうと、ハワイの地を選びました。
まずはビザの取得からかぁ、、!
オーストラリアでも経験済みでしたが、外国に住むということは「居住して労働しても良いですょ。」というビザが必要なわけです。これがまた、大変な手続きと費用がかかります。アメリカビザを取得するのにかれこれ一年以上の月日がかかりました。
オリンピックの準備で盛り上がるシドニーを離れ、晴れてハワイに移住しましたら、今度はネイリストとしてのライセンスが無くてはサロンをオープンすることが出来ないのであります。

 

アメリカネイルライセンス取得!猛勉強を夫婦愛でクリアして❤

その頃は年に何回かしかライセンステストが無く、一度不合格なら次は半年ほど先にしかチャンスが無い!一週間後にテスト!!!
これまた分厚い英語の教科書を丸暗記。目から血が出る程勉強しました。
旅行会社を退職して、一緒にサロン経営を手伝ってくれている夫も、サロンオープンがかかっていますから、必死の応援を送っておりました。
幸い一発合格をして、ハワイに住んでいる不動産を営む親戚の助けもあり、晴れてワイキキにサロンをオープンする事が出来たのは、年の瀬も迫る2000年の冬のことでした。

柏木KOKO (KOKOIST)